ジャカードによる新たな表現(1)

 明治期にフランスよりジャカード織機を導入した京都西陣は、歴史も古く、着物や帯、緞帳、そして現在ではインテリアファブリックの生産される織物産地として機屋の西の中心地にある。その西陣で「源氏物語絵巻」を織で再現した山口伊太郎(1901~2007年)と、能装束の専門家である弟の山口安二郎(1904~2010) 「2人で200歳記念展」を開催するなど、長寿で素晴らしい織の仕事を成し遂げている。

 

兄の伊太郎は 創業した機織業で西陣織の制作に携わって55年、70歳を前に「源氏物語絵巻」と出会い、立体的で色鮮やかな織物で再現しようと考えた。 1970年(69歳)より「源氏物語錦織絵巻」 全4巻の制作を開始した。 1986年に第1巻を完成、1990年に第2巻を、2001年には第3巻をそれぞれ織り上げ完成させた。 第3巻「鈴虫(二)」には、欄干掛かった紋様の入った薄物の帯束の下から、欄干が透けて見える表現のために3年も費やしたという。

 

全巻完成の直前2007年に伊太郎は105歳でその生涯を閉じたが、彼の意志を継いで2008年に第4巻が織り上げられた。伊太郎は1995年(89歳)、ギメ国立東洋美術館(フランス)に第2巻を寄贈し、その後も完成した錦織絵巻は全巻、同美術館に寄贈されている。

 

伊太郎が製作を開始した1970年には紋紙を使ったジャカード織機での製作だった。 織に入る前の準備工程、下絵を紋紙に移す作業は丸 3年かかり、30~50万枚の紋紙の収納には4つの倉庫が必要だった。リヨンに留学した息子がコンピューターを導入、5年かけて手製のものを開発し、第2巻目からはコンピューターを使っての製作となった。 伊太郎はプロデューサーとして細部まで徹底的にこだわり、最高の絵巻織物を製作するために37年もの歳月をかけて織り上げた。

 

一方、もともと謡曲や能が好きだった弟の安二郎は、戦後、復元能装束裂の煩布会をしたが売れず、帯の製作に専念せざるをえなかったが、能の金剛流先々代宗家「帯は20~30年の寿命だが能装束は300年持つ」との言葉を深く受け止め、 50歳を過ぎて

家業を息子に任せ自身は能装束の製作に専念、半世紀の間に能装束およそ130領を復元している。 1990年(86歳)には伊勢神宮内神楽殿の内張絹を復元し献上、1996年(92歳)には観世流宗家所蔵の能装束「唐織石量に御所車夕顔文様」など5領を復元した他、 長年にわたり数々の修復や復元の仕事をしている。

 

「明治の初めに西陣の先輩たちがリヨンに留学してジャカード装置を日本へ持ち帰ったことが、今日の西陣の飛躍の元になっている。 その恩恵によって自身がここまでやってこられたので、いつか念願の地リヨンで西陣織を見てもらいたい」との安二郎の永年の思いは、1999年(95歳)フランス・リヨン庁舎で開催されたジャパン・ウィークに能装束52点を出展し、リヨン織物装飾芸術博物館に「唐織扇に夕顔文様」と「長絹枯若八ツ橋蛍文様」を寄贈したことで遂げられた。また2002年(98歳)にはロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に「厚板立涌に牡丹文様」を寄贈するなど、 世界中訪れた先々に能装束を寄贈している。気候風土の異なる外国で200年、300年を経た能装束がどのように変化するのか、後の世の人々に観てもらうという夢のために。

 

出典: 阿久津光子